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1862 |
7月14日ウィーン近郊のバウムガルテンで生まれる。父は貴金属彫金師。 |
グスタフ・クリムト |
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1870 |
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1876 |
ウィーンの工芸高校に入学。 |
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1879 |
弟のエルンスト、友人のフランツ・マッチュと共に美術史館の中庭の装飾を担当する。 |
1880 |
主に宮殿の天井画などの注文を受け始める。 |
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1885 |
皇妃エリザベートの別荘、ヴィラ・ヘルメスの内装を手がける。 |
1886 |
エルンスト、フランツとも異なるクリムト独自の様式を確立、アカデミズムと一線を画する。 |
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1888 |
芸術的功績により、皇帝フランツ・ヨーゼフより黄金功労十字章を授けられる。 |
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1890 |
ウィーン美術史館の階段ホールの内装。 |
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1892 |
父と弟エルンスト、死去。 |
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1897 |
芸術家の反乱が始まり、「分離派」グループに加わり会長に選ばれる。女友達エミーリエとアッター湖畔で夏を過ごすようになる。 |
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1990 |
「分離派」展で87人の教授達から抗議を受けた絵画「哲学」がパリ万国博覧会で金メダルを受ける。 |
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1902 |
オーギュスト・ロダンとの出会い。ロダンは「ベートーヴェンフリーズ」を賞賛する。 |
1903 |
ヴェネツィア、ラヴェンナ、フィレンツェへの旅。「金の時代」が始まる。「分離派」館でクリムト回顧展。 |
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1905 |
クリムトとその仲間は「分離派」を去る。 |
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1907 |
若きエゴン・シーレと知り合う。 |
1908 |
ウィーン総合芸術展に出品。ローマ近代美術館が「人生の三時期」を、オーストリア国立絵画館が「接吻」を買い取る。 |
1909 |
パリへ旅行してロートレックの作品に興味を持つ。ゴッホ、ムンク、トーロップ、ゴーギャン、ボナール、マチスなどが総合芸術展に出品。 |
1910 |
ヴェネツィア・ビエンナーレ展に参加して成功を収める。 |
1911 |
「生と死」がローマ国際芸術展で一等賞を受ける。フィレンツェ、ローマ、ブリュッセル、ロンドン、マドリッドなどを旅行。 |
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1914 |
表現主義の画家たちがクリムトの作品を批判。 |
1915 |
母の死をきっかけに色使いが暗くなる。 |
1916 |
エゴン・シーレ、ココシュカたちと共に「ベルリン分離派」のオーストリア芸術家同盟展に参加。 |
1917 |
「花嫁」と「アダムとイヴ」の制作に着手する。ウィーンとミュンヘンの美術アカデミーの名誉会員に迎えられる。 |
1918 |
2月6日死去。 |